「50代、ブログどころじゃなかった4月【中編】|ギリギリな毎日」

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忙しすぎてブログが更新できない50代男性

四月。

新しい事務員は来た。

人柄も良い。
真面目だった。

本当に、来てくれて助かったと思っている。

それでも——

現実は、厳しかった。


教える時間が、ない

忙しすぎて事務員に教える時間がないイメージの画像

当然だが、新しい事務員は最初から何でもできるわけではない。

仕分け作業。
銀行関係。
経理処理。
電話対応。
利用者対応。

ひとつずつ、覚えてもらわなければならない。

しかも教える立場の自分自身、よく分かっていないことだらけなのだ。

そんな自分が、新しい事務員に教えていかなければならない。

妙な状態だった。

「教える時間」も、なんとかして作る感じ。

自分自身、

管理者として
サビ管として

膨大な量の仕事に追われていた。

説明している途中で電話が鳴る。

利用者対応が入る。

別件で呼ばれる。

気づけば、

「あれ、何を説明していたっけ…」

そんな状態だった。


三人辞めて、三人入った

社員が3人辞めて3人入ったイメージの画像

さらに大変だったのは、人の入れ替わりだった。

この三月、四月で、

三人辞め、
三人入ってきた。

雇用保険。
社会保険。
離職票。
入社手続き。

ただでさえ慣れていない事務作業。

それが次々に押し寄せてくる。

正直、

「今、自分は何の書類を作っているんだ…」

分からなくなる時もあった。


ミスが怖かった

仕事のミスが怖かったイメージの画像

福祉の仕事は、ミスがそのまま信用問題になる。

請求。
金銭。
行政対応。

どれも間違えられない。

だから確認する。

何度も確認する。

すると今度は、時間が足りない。

仕事が終わらない。

帰れない。

また翌日が来る。

そんな毎日だった。


ブログどころではなかった

ブログどころじゃなかったイメージの画像

二月頃までは、

「少し落ち着いたらブログを書こう」

そんな気持ちもあった。

AIの記事。
副業の記事。

書きたいことは、頭の中にたくさんあった。

だが四月に入る頃には、それどころではなくなっていた。

パソコンを開く気力すらない。

休日は、ただ横になって終わる。

気づけば、ブログから離れていた。

毎週行っていたゴルフの練習も、完全に止まっていた。

クラブに触る余裕すらない。

「趣味を楽しむ」という感覚そのものが、消えていたのだと思う。


それでも、不思議だった

それでも不思議だったイメージの画像

不思議なことに。

完全に辞めようとは思わなかった。

「もう無理だ」

そう思う日は、何度もあった。

それでも、

ブログを閉鎖しようとは思わなかった。

たぶん心のどこかで、

「また戻りたい」

と思っていたのだと思う。


少しずつ、自分でやれることが増えていった

少しずつ自分でやれることが増えていったイメージの画像

ただ、悪いことばかりではなかった。

今まで事務員任せだった仕事。

給与ソフト。
会計ソフト。
経理。
社会保険。
雇用保険。

気づけば、自分でも分かるようになっていた。

もちろん、しんどかった。

だが同時に、

「知らなかった世界」が見えるようにもなった。

皮肉なものだと思う。


そして、五月へ

5月へ続くイメージの画像

四月は、とにかく生き残るだけで精一杯だった。

ブログを書く余裕など、ほとんどなかった。

それでも五月に入り、少しずつ呼吸ができるようになってきた。

止まっていたブログ。

止まっていたAI。

また、少しずつ触り始めていた。

だが——

この頃の私は、まだ知らなかった。

この先、さらに大きな出来事が待っていることを。

長年勤めてきた職員。

そして、自分がこの事業所へ来るきっかけを作ってくれた人が、退職を決意していたのだ。

(続く)

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